荒尾市の概要
荒尾市は、熊本県の西北端に位置し、有明海に臨み、北隣の福岡県大牟田市とともに、三井三池炭鉱による石炭のまちとして発展し、両市の市街地が繋がっていることはよく知られています。
荒尾のあゆみ
荒尾は小岱山から有明海にかけてなだらかな丘陵地が広がっており、3万年以前の「前期旧石器時代」から縄文・弥生・古墳・奈良・平安そして現在に至るまで、連綿と住民の営みが続けられてきました。「宿・陣屋敷遺跡」や「境崎貝塚」などの遺跡から土器や岩偶が発見され、旧石器時代から縄文・弥生時代の生活の跡が見られます。
奈良・平安時代には、花こう岩質の小岱山から得られる豊かな粘土と丘陵地の斜面を利用して、数多くの焼物(須恵器)の「窯」が築かれ、生産されました。これが平安末期から鎌倉時代の「製鉄業」に引き継がれ、その後の「小代(岱)焼」へと繋がっていきます。
江戸時代には、金山・樺・府本・野原地区等で石炭採掘が試みられましたが失敗に終わります。三池炭鉱もこの頃から採掘が始められ、明治に入ってから政府の官営事業となり、囚人に坑内の業務を当たらせていましたが、明治21年1888、三井財閥に払下げられました。団琢磨はアメリカ留学で鉱山学を学んだ後、工部省鉱山局の官吏として三池炭鉱に赴任していましたが、払下げと同時に三井に入りました。1892年、三井鉱山が創立され、団指揮のもと、囚人の使役をやめて、炭鉱経営の近代化、合理化が進められ、三池港を築きました。しかしながら60年代からの石油へのエネルギー転換に伴う石炭の需要低下で、平成9年(1997)に閉鎖となりました。
明治・大正期に忘れてならないのが宮崎兄弟の活躍です。明治7年(1874)、次男の宮崎八郎は植木学校を設立し、自由民権運動を展開するとともに、「西南の役」では西郷隆盛軍に加わり、八代・萩原堤で戦死しました。また六男の民蔵は「土地均享論」を唱え、七男・弥蔵、八男・寅蔵は中国革命に身を投じます。中国革命の父といわれる孫文は宮崎兄弟と深く交流を持ち、宮崎家を訪れています。
現在の特産「荒尾梨」の栽培が、大谷や八幡地区で始められたのが明治40年(1907)頃のことです。その後、先人の努力により栽培技術の改良が重ねられ、荒尾の地に合っていたこともあって、現在では大きな産地に成長しています。
荒尾の名前の由来
さまざまな諸説がありますが、荒尾市の前身は荒尾町でその前身は荒尾村と呼ばれていました。
荒尾村は江戸時代の荒尾手永(てなが)に由来すると言われています。古文書によると室町時代に「阿らお村」として記されており、小代一族荒尾氏にかかわる地名だったという説が有力です。
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荒尾市宮崎兄弟資料館 |
| 住所: |
〒864-0041 熊本県荒尾市荒尾949-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0968-63-2595 |
| 開館時間: |
9:30〜16:30 |
| 休館日: |
月曜日(その日が祝日にあたるときはその翌日)
祝日の翌日(ただしその日が日曜日にあたるときを除く)
年末年始(12月28日から1月4日まで) |
| 入館料: |
小・中学生 100円(団体割引20名以上80円)
一般(高校生以上) 210円(団体割引20名 |
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